こんにちは、ホビー不動産代表の室田 啓介です。
企業のホームページにはよく、「代表者ごあいさつ」といったコーナーがありますが、堅苦しいのはこのサイトに似合わないため、自己紹介を兼ねて僕の経歴と不動産を志した理由を、紆余曲折の人生をギュッと短く凝縮した読み物としてご紹介します。
ホビー不動産代表の室田 啓介と申します。
企業のホームページによく、「代表者ごあいさつ」というコーナーがありますよね。
あいにく僕自身、スーツにネクタイで立派な挨拶文を述べるのが似合うタイプではなく、またキャリアと呼べるような経歴がないものですから、読み物のうちの1つという形で、自己紹介を兼ねてホビー不動産開業に至った経緯を述べさせてください。
東京都文京区、東京大学附属病院で生まれたため、「東大出身」と言えば嘘になりますでしょうか。
幼少期より東大キャンパス内を庭がわりに育ったため、大学進学に際しては、東大はもういいかな、ということで別の大学に進学。早く仕事に就きたかったため、卒論なし、ゼミなしの大学を選びました。
また同時に、夜間は服飾系の学校でファッションの勉強をしていました。
在学中にハマったのは洋服より靴でした。靴は服と違って人間が着用しなくても形を保ち、そのフォルムの美しさを愛でることができます。また、ソールの材質やヒールの太さ、高さにより楽器のように足音が変わります。
こうした、ファッションの中でも建築や音楽的な要素が混ざった靴というものに関心を持ち、将来は靴デザイナーを志すようになります。
就職活動、という社会のシステムに違和感があった僕は、大学の単位を3年間で取得し終え、尊敬する靴デザイナーを店舗前で待ち伏せ、無給でいいので靴を教えてください、と説得し、大学4年生の春から無休無給で丁稚奉公をさせてもらいました。
デザイナーご夫婦と僕のたった三人ではじまったアパレルブランドでの僕は、未経験ながら企画、生産管理、営業、プレス、販売、経理という6つの仕事を与えてもらいました。
シーズンにより忙しい部署が異なるアパレル業界において、6つの部署を掛け持ちしていた僕は、忙しさこそ常にピークでしたが、自分でも驚くほどの成長スピードにすっかり満足してしまい、寝食を忘れて年中無休で月500〜600時間ほどの仕事に没頭していきます。
寝不足がたたり、毎日フラフラする感覚が出てきたのも放置したまま2年半ほど働いたある日、気絶するように倒れてしまい、目を覚ますと、どこが床でどこが天井なのか分からないほど、平衡感覚を完全に失ってしまっていました。
いわゆる過労死というものが、たまたま若かったため死なずに済んだのかもしれません。一歩歩くごとに床が抜けてどこまでも落下していくような恐ろしい感覚があり、自宅のトイレにすら一人で行くことができない体になってしまいました。
そこからの2年間はまさに暗黒時代です。自宅から出られないどころかベッドからまともに起き上がることもできず、23歳の若さで寝たきり生活になりました。
複数の大学病院や耳鼻科、精神科など、様々な病院に通った結果、「自律神経失調症」という病名はついたものの一向に回復せず、一生このままなのではないかという恐怖とともに日々、ただ生きていました。
寝たきりになって2年が経ち、徒歩5分圏内であればなんとか自力で歩行できる程度まで、若干の回復をしてきた頃。 このままこの場所で、生きているのか死んでいるのか分からない暮らしを続ける人生なら、一度リセットボタンを押したいという衝動が芽生えてきました。
人種のるつぼと言われるNYなら、雑踏に紛れて誰からも気にされることもなく、透明人間のように生活が送れるのではないか?と思い立ち、所有していたすべての荷物を船便に載せ、学生ビザでNYに渡米しました。
NYでの生活がはじまると、不思議なことに体調がみるみる回復してきました。
日本でも人間関係に特にストレスを感じたりはしていませんでしたが、人間関係もタスクリストも完全にゼロベースにリセットできたのが功を奏したのか、7ヶ月が経つ頃にはほぼ、平衡感覚も戻り、走ったりもできるほどに。
貯金が底をつき、日本に戻るための飛行機代しか残高がなくなった7ヶ月目。このまま残るか帰国するかの判断を迫られた僕は、改めて人生をやり直すために、日本に戻ることを決意します。
わずか7ヶ月のアメリカ移住生活を終え、東京に戻った僕は、靴デザイナーに代わる、新たな目標を探すために情報収集をはじめました。
そこで出会った1冊の本の衝撃が、その後の僕の人生を大きく変えることになります。
「R」と表紙に大きく書かれた本のタイトルは、「R the transformers」。東京R不動産のディレクターである馬場正尊さんの2002年の著書です。
アメリカのコンバージョンカルチャーを紹介するこの本の中に登場するシカゴの建築家が、インタビューでこう述べていました。
『私自身がこのビルを買い、コンバージョンし、設計を行って、そして賃貸までを一貫して行っているので、私は建築家でありデベロッパーでもあるということになる。
22年前、古くて小さな工場を買い、それを4つの住居にコンバージョンし、そのうち一つに自分が住み、あとの3つを賃貸にした。それが最初のトライアルだった。』
この、「私は」「デベロッパーである」という言葉の組み合わせに衝撃を受けてしまったのです。
デベロッパーという単語からイメージする像は大きな企業体であり、デベロップされる対象も、そこそこ大きな建物だと信じて疑わなかった僕には、私という個人がデベロッパーになれるという価値観が衝撃でした。
そしてその次の、古くて小さな工場を4つに分けて、のくだり。
この建築家が小さな工場を見つけた時の興奮や、自分だけでは手に負えない大きさだけど、4つに分けたらなんとかなるんじゃないか?と企んでいる時の脳内の、ドーパミンがドバドバ出ているであろう感じ。そして実際に自分の目論見が現実になった時の喜び。
想像するだけで、僕の脳内によだれが垂れてくるのがわかります。
この短い文章に僕は、まるで自分のことのような興奮を覚えてしまったのです。僕が人生を通じてやりたい仕事は、これだと。つまり、マイクロデベロッパーなんだと。
この仕事であれば、社会の歯車として生きるのではなく、自分自身の見立てと企てによって、小さいながらも街の景色を変えられるかもしれない。みんなが当たり前だと思っていた建物の使い方や、住まい方、働き方を変えられるかもしれない。
大企業ゆえの様々なしがらみに囚われることのないマイクロデベロッパーとしての個人は、小さいがゆえに針の先のような鋭さを持ち、価値観を共有できる誰かの心に深く刺さるものを作り出せるのではないか?
そんなことを考えだすと、もはやこの仕事こそが自分の天命にも思えてきました。
しかし、そこで僕は気づきます。自分には不動産の知識も建築の知識も、お金も人脈もメディアもなにもないというショッキングな事実に。
目の前に横たわるこの大きな溝を埋めるために僕が選んだのが、本の著者である馬場正尊さんが立ち上げた東京R不動産で、仲介を仕事にすることでした。
とはいえ、僕の目標はあくまでもマイクロデベロッパー、大家さんです。そのため東京R不動産で働くにあたり、かならず身につけようと心に決めたスキルがいくつかあります。
センスのいい人たちがどんな空間を求めるのか、そのニーズや、アリとナシの間にある微妙な線引き、ニュアンスの違いを肌感覚として掴むこと。
エリアによる客層の違いや、家族構成や職業により必要とされる間取りの違いなど、デザインだけでない複合的な要素がニーズに及ぼす影響を理解すること。
改装をするにあたっての工事の基礎的な知識や、できることできないことの判断や予算感。信頼してデザインや工事を頼める設計者、工務店のネットワークを持つこと。
将来、自分がマイクロデベロッパーになった時に必要となるこうしたスキルを身につけながら、不動産を購入する資金を貯められる環境が、東京R不動産にこそあると考えました。
そしてその後18年間のR不動産での仕事を通じて見聞きすることのすべてをデータと捉え、そのすべてに「なぜそうなのか?」を分析するというひと手間を加えてから脳内に収納することで、不動産についての解像度を上げていく日々を送ってきました。
2024年、ホビー不動産開業時点での僕は、山手線内で古ビル2棟、マンション1棟、戸建1棟を賃貸する大家業を営み、また沖縄と金沢でそれぞれ一棟貸しの宿を経営し、3つ目の宿の開業を準備中です。
途中かなり端折ったものの、かなりの長文になってしまったので、大家業と旅館業についてはまた別の記事でご紹介することにして、この記事のタイトルにある、「なんで不動産屋になったんですか?」に話を戻します。
前述したとおり、僕が不動産屋になった理由は、将来マイクロデベロッパーになって、街の景色や日本人の住まい方、働き方を変えてみたいと思ったからでした。
ところが、いざ自分で建物を所有し、いくつかの小さな不動産で自分の目指す世界観を表現したところで、社会に与えるインパクトはまったくと言っていいほどありません。
不動産屋とマイクロデベロッパーの二足のわらじの中で、個人としてマイクロデベロッパーの活動をメインに拡大していく方法も考えましたが、個人の力ではどうしてもその先に、社会を変えるほどのインパクトを出せるイメージが湧きませんでした。
では、街の景色を変えるにはどうすればいいのか?というと、その答えは前回の記事のとおり、供給者側と需要者側の意識を変えていくことだと考えています。
街の景色を変える方法に単一的な正解はなく、多様な意志が表出する良質なカオスこそが、理想の状態と考えます。 そのためには自分一人の力では到底足りず、志を持ったメンバーが集まり、不動産の魅力を様々な文脈でお伝えしていくことが必要だと思います。
主語を「I」から「We」に代えて、チームとしてどこよりもユニークな不動産屋をつくり、不動産のエンタメ化により、不動産に対してホビー的に関わる人口を増やしていく。
その結果、需要者側がより魅力的な不動産を求めるようになり、経済的合理性だけで作られた不動産では満足しなくなる。
それに応えるように、意志と好奇心を資本に魅力的な不動産を供給するマイクロデベロッパーが増えて、世の中が面白くなっていく。
そんなことを妄想しながら、不動産屋やってます。ひとつよろしくお願いします。
『ホビー不動産』WEBサイト、いよいよオープンしました。
不動産を偏愛する代表の室田が、なにを考えてこのサイトを作ったのか。サービスを通じてどのような世の中を作っていきたいのか。
「ホビー×不動産」が目指す世界観について語ります。